そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口が 喧 ( やかま )しくって 為方 ( しかた )が無いと云っていました」 これを聞くと時雄は 定 ( きま )って芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳子の 遣 ( や )ることなどは 判 ( わか )りやせんよ。 忘れ去られた作家といった趣のあった美知代であるが、以上紹介してきたように、まずは花袋の周辺人物としての資料発掘や考察が花袋研究者たちによって地道になされ、2000年以降、とくにこの数年は、美知代自身に焦点化した研究が進められつつある。
オレのことを慕ってたんじゃなかったのか!あまりのショックに、34歳の大の男が大酒を飲んで泥酔し、路上で倒れる始末。 かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。
この悲哀は 華 ( はな )やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の 最奥 ( さいおう )に 秘 ( ひそ )んでいるある大きな悲哀だ。
美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。
一行書いては筆を留めてその事を思う。
渠 ( かれ )は名を竹中時雄と 謂 ( い )った。
少くとも男はそう信じていた。
それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。
(1907年)• 挙げ句彼女が処女ではないと分かった途端に 手を出しておけば良かったと後悔したり。
再び草の野に• が、結果的に彼女と書生は「霊肉ともに許した恋人」となってしまいます。
かなりざっくりまとめたので、細かくみていきたいと思います。
強い香水、喫煙、にんにくといったものは恋愛には不似合いなもので、やめるべきものです。
ただ「自然主義」が発展したことで、文学が社会の矛盾や人間の欲望を深く掘り下げる方向へ進んだことは、間違いないでしょう。
暫 しばら くして立上って襖を明けてみた。
以下 参考までに… 『蒲団』(ふとん)は、田山花袋の中編小説。 『女学の友』掲載の「東京で」1~10、「三人姉妹」1~9は、掲載年月不明で、雑誌も未見。
ですから、花袋は不倫をしようとする人が必ずたどる心理状態を詳細に描くことができました。 時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い 遣 や った。
妻(1909年)• 体臭のにおいをとおして先天的な相性を感知しあっているということになります。
時雄はリボンや夜着や蒲団に残る芳子のにおいを嗅ぎますが、それは私たちの遺伝子の欲求からすると自然な行為です。
するとたまらなくなって押入れを開けると、彼女がつかっていたふとんを引き出します。
だが『一兵卒の銃殺』などの作品を精力的に発表。 次に押入れにしまってあった芳子の蒲団と夜着を取り出して、においを嗅ぎます。 美知代夫妻はこの長屋門の左側に一時期住まった。
『蒲団』の場合は、花袋=時雄ということになります。
基本的には、体臭を嗅ぐことによってお互いの遺伝子レベルでの相性を確かめあうというが、嗅覚の最も重要な役割です。
前者は不倫したくてもできなかった中年の恋の話、後者は不倫しちゃった人の話です。
この夏期の休暇に 須磨 ( すま )で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに 堪 ( た )え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。
「懐かしさ、恋しさのあまり、かすかに残ったその人の面影を偲ぼう」と思い、机の引き出しにしまってあった芳子のリボンを見つけて、においを嗅ぎます。 その振り幅と矛盾が、人間の気持ちとしてリアルな感じがして好き。 藤村の書を刻んだ墓はにある。
瓜畑(1891年)• 女と 摩違 ( すれちが )う 度 ( たび )に、芳子ではないかと顔を覗きつつ歩いた。
渠は椅子に腰を掛けて、 煙草 ( たばこ )を一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆を執り始めた。
須田喜代次「鴎外と花袋」『講座 森鴎外』第一巻、平川祐弘ほか編、新曜社、1997年、388、403-405頁。
始めは気の進まなかった時雄であったが、芳子と手紙をやりとりするうちにその将来性を見込み、師弟関係を結び芳子は上京してくる。
また、本ページの「著作リスト」に掲載されていない作品に関しても、ご教示いただければ幸いです。 時雄はいかにしても苦しいので、 突如 ( いきなり )その珊瑚樹の蔭に身を 躱 ( かく )して、その根本の地上に身を 横 ( よこた )えた。
12女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。 時雄は恋愛に似た欲望を抱きつつ、彼女に対して文学や恋、男女についての教訓を語り聞かせるという日々でした。
僕が読んだのは、『蒲団・一兵卒』という二作が収録されている岩波文庫の一冊でした(『蒲団』そのものは、明治40年(1907年)9月号の雑誌「新小説」が初掲載)。
門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、夜も今までは子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室に 徒 ( いたずら )に明らかな 洋燈 ( ランプ )も、 却 ( かえ )って 侘 ( わび )しさを増すの種であったが、今は 如何 ( いか )に 夜更 ( よふ )けて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、 膝 ( ひざ )の上に色ある毛糸の丸い玉! 賑かな笑声が牛込の奥の 小柴垣 ( こしばがき )の中に充ちた。
今回の事件とは 他 ( ほか )でも無い。