「人間発電所 ORIGINAL '95 VINYL VERSION 」(1995年) - 12"EP• それとかやっぱり地方に行っていろんな全然知らない人が来て。 まあ、DEV LARGEはいないけども、トラックで参加していればBUDDHA BRANDだっていうことで入れてみました。 デブラージは裏方でトラックメーカーの予定だった。
18般若の名曲「最ッ低のMC」でも、 ギドラ・ブッダ・雷・ペイジャー 俺が狂ったのは奴らのせいだ という名フレーズありますが、そのブッダこそ、ブッダブランドです。
渡辺:うんうん。
「本当に日本語でこんなにカッコイイ詩を書ける奴が居るんだって思ったよ。
もちろん大半はKing James VersionのI still Love youからきているけれど 細かいところまでサンプリングするとはまた贅沢。
NIPPS:っていうかいつ、どこで金をもらっていたんだろう?っていつも気になるんだよね、俺。 「あの曲、すごかったな。 だからまあ、あの形になって出たりとか。
当時のカッティングエッジの担当者の本根さんは、最初にデモテープにあった「FUNKY METHODIST」と「ILLSON」をもっとクリーンな音で録り直したい、という話があり、スタジオをおさえたという。
サビに関しても、本当にたぶん一聴しただけではどういうことを歌いたいのかもわかんないんだけど、このレコードが出た後にCDが出たら、これが俺たちの同年代。
(国山ハセン)ありがとうございます! (サイプレス上野)もうけど、さっきから話しているように、ヒップホップとかEDM、ダンスミュージックとか音楽に明るいということでね。
個人練もグループ練習もひたすらもう」という日々を送っていたが、帰国後のデブラージは、もっとカラオケで歌える曲を、という意識で取り組み、Nippsにプロ意識を持つように呼びかけたという。
2」(2005年8月3日)• 「REMIX KRUSH GROOVE4 」(1998年)• そして、アンコールでの話。 24時間でやりたいんだよね、本当は。 CQ:でもみんな、がんばっているよね。
12同年7月7日に開催されたヒップホップイベント「さんピンCAMP」に出演。 1990年にグループ名をBUDDHA BRAND(ブッダ・ブランド)に改名し、本格的に活動を開始。
(サイプレス上野)さあ、お送りした曲はブッダブランドで『人間発電所』。
仏教では 因縁仮和合 いんねんけわごうと言いますが、 この世にあるものは全て一時的な結びつきによって存在しています。
こういう言い回しは、強烈に頭に残るし、意味はこっちで分かる。
渡辺:うんうん。 勿論購入、すぐ聴きこみました。
(サイプレス上野)一大ムーブメント。
NIPPS:もう荷が重くて。
買ってないなら買え!!(脅迫) Amazon. なんか英語と日本語がこれ、混ざるじゃない? 帰国子女だから。
またレコードマニアとしても著名な存在であり、後述する「人間発電所」のサンプリング元のみならず、彼がトラックを手掛けた作品ではありとあらゆるジャンル、年代の音楽が使用されている。
C's 火を吹く取り巻く 山火事 like スペシウム光線 みんなに満遍 けんべん 右も左もねえ From 九次元 普通がなんだか気付けよ人間 奈良県出身。
渡辺:『ILLSON』の時の? CQ:そこに入っているのかな? 渡辺:そこのB面のインストを使って今回、新たに『Kushokan』を……。
」とコメント。
BUDDHA BRANDというグループ、DEV LARGEさん、CQさん、NIPPSさんこの3人のラッパーとDJ MASTERKEYさんの四人組なんですけども。 「病める無限のブッダの世界 〜Best Of The Best(金字塔)〜」 - 3枚組。
マスターキーと、CQは小学校の時から同じ地元(大田区)で学年も同じだった。
だから、日本に帰ってきた頃、俺は寂しかったんだ。
これも結構昔からある? NIPPS:すっごい昔からある。
(サイプレス上野)はい。 また、カッティングエッジの本根さんは、 デブラージは汗をかきかき、当時俺の働いていたCutting Edge事務所に来ては、話すことはNIPPSのことばかり。 しかし、ベストアルバムは代表曲やシングル曲を詰め込んでいるのでそこに統一感は少ない。
』(2019年10月30日) - 生産限定盤はインストCDが付属した2枚組。 (佐藤満春)へー! すごい出会いだね。
なので……うん。
今日は若林くんがゲストということで。
NIPPS:でさ、俺は昔、言われたことがあるんだよね。
にグループ名を BUDDHA BRANDに改名し、本格的に活動を開始。
1989年結成って…俺まだ2歳なんだけど、その時代でこのセンス?改めて凄まじい曲だ…。
恥ずかしい反面、嬉しいよね。
(佐藤満春)そうだったね。
本当にデブラージさんの持つ世界観をCQさんとNIPPSさんっていう2人が更にそれを崩すというか。
(国山ハセン)刺激的な(笑)。 ずーっとまあ、出すタイミングがなくなっちゃって。
実際、俺は嫌われていたのかな、本当は仲悪かったのかなって、モヤモヤしていたこともあったけれど、俺が狂っていた頃に、まともに相手してくれたのは寺ちゃん(寺西)とヒデ(デブラージ)くらいだった。
最初はただ集まっていたが、デブラージが一時帰国し、当時の日本語ラップの現状を伝えたところ「じゃあ、俺たちも何かやろう」と 「うわさのチャンネル」を結成。
2003年、ベストアルバムの再編集盤『DEV LARGE プレゼンツ:病める無限のラップの世界』、『DEV LARGE プレゼンツ:病める無限のインストの世界』を同時発売。
DJ MASTERKEY(ディージェイ・マスターキー) 来歴 1988年にCQ、DJ MASTERKEYがニューヨークに渡り、1989年にDEV LARGE、NIPPSと出会い、前身グループ「うわさのチャンネル」を結成。