巻第三 「夏歌」• そうして集められた「やまとうた」は、いわば「やまと」の私的領域の総合体です。 【代表的な歌人】• 忠度は歌人として名高く、「よみ人知らず」として入集した『千載和歌集』の1首を含めると勅撰和歌集に11首入集しています。
しかし、各集における歌人の扱い方はさまざまの事情によって、かならずしも総括的ではなく、正当と認めがたい(室町中期の代表的歌人正徹 しょうてつ の歌は勅撰集にはとられなかった)場合もあるから、私家集や私撰集とあわせみることも忘れてはならないのである。
巻第十五「恋歌 五」• しかし唯一、四季と恋以外で勅撰集の美学を宿す部があります、「哀傷歌」です。
その他• 後白河院の指摘によって、俊成が自分の歌を加える改訂を行いました。
ちょうどそんな折、宇都宮頼綱から「私選和歌集」の依頼が舞い込んだのです。 そうすることによって、朝廷は「やまと」全国を私的なレベルにおいても統治しようとしたわけです。
武家による執奏勅撰和歌集の最初 19 1364年 後光厳天皇 二条為明、 なし 20巻 1920首 執奏。 藤原為氏 28首• 【代表的な歌人】• 後に藤原定家が編纂した『小倉百人一首』は影響を与えることとなり『新百人一首』や『新百人一首』『新撰武家百人一首』などが編纂されるようになりました。
花山院家賢 52首• 今でも、仕事を離れて好きな音楽を聴きますよね。
藤原俊成 29首 スポンサーリンク 16 続後拾遺和歌集 【読み方】しょくごしゅういわかしゅう 【下命者】後醍醐天皇 【撰者】二条為定、二条為藤 【巻数】20巻 【歌数】1353首 【成立】1326年 【補足】続後拾遺和歌集には足利尊氏の歌も 1首収められています。
にのがあり、本と。
【代表的な歌人】• 西園寺実兼 27種• 西園寺実氏 61首• 藤原定家の詠む和歌は、官能的な美を追求したものが多いとされ「美の使徒」「美の鬼」と呼ばれています。
【代表的な歌人】• また、方言による歌もいくつか収録されており、その出身地も記録されていることから、方言学の資料としても重要なものです。
【代表的な歌人】• 今回でいったん文学史の紹介はおしまいです。
日記『明月記』 治承4年(1180)藤原定家が18歳の頃、世は平氏討伐を目的とした源平合戦の真っ只中でした。
おもしろいですね。 凡河内躬恒 60首• しかし、それ以降に詠まれた和歌も含まれていることから、のちに手が加えられたとみられ、実際の完成は912年ごろという説もあります。 素性法師 36首• 以上を参考に学習してみてくださいね! 勅撰和歌集(八代集) 勅撰和歌集は選出を命令した人と選者を中心に暗記していきましょう! 勅撰集名 選進下命者 宣下年次 選者 古今和歌集 醍醐天皇 延喜5年(905) 紀貫之 凡河内躬恒 紀友則 壬生忠岑 後撰和歌集 村上天皇 天暦5年(951) 源順 大中臣能宣 清原元輔 紀時文 坂上望城 *上記5人を合わせて 【梨壺の5人】 拾遺和歌集 花山院 不明 諸説あり 後拾遺和歌集 白河天皇 承歴2年(1078) 藤原通俊 金葉和歌集 白河院 天治元年(1124) 源俊頼 詞花和歌集 崇徳院 天養元年(1144) 藤原顕輔 千載和歌集 後白河院 寿永2年(1183) 藤原俊成 新古今和歌集 後鳥羽院 建仁元年(1201) 源道具 藤原定家 藤原有家 藤原家隆 藤原雅経 寂蓮 歌論 代表的な歌論 歌論書名 作者名 成立年次 特色 新撰髄脳 藤原公任 平安中期 秀歌論とその例や本歌取りについて書いてある。
14能因法師 31首• 藤原俊成 22首 13 新後撰和歌集 【読み方】しんごせんわかしゅう 【下命者】後宇多院 【撰者】二条為世 【巻数】20巻 【歌数】1607首 【成立】1303年 【補足】津守氏の歌が多いことから「津守集」とも呼ばれることがあります。
勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、やの命により編纂された。
大中臣能宣 59首• 近代秀歌 藤原定家 鎌倉前期 和歌批判や本歌取りの部分と秀歌例の分野に分かれる。
枕草子 まくらのそうし によれば、当時の貴族にとって古今和歌集を暗唱することが教養とされていました。
それぞれの作品に固有の編纂意図はあると思いますが、 「勅撰集」というものについて言うと、 そもそも「和歌(やまとうた)」という呼び方は『古今和歌集』から始まりました。
13西園寺実氏 34首• 【代表的な歌人】• 平兼盛 39首 4 後拾遺和歌集 【読み方】ごしゅういわかしゅう 【下命者】白河天皇 【撰者】藤原通俊 【巻数】20巻 【歌数】1218首 【成立】1086年 【補足】当時は批判的な評価もありました。
(新勅撰和歌集 巻第十三 恋歌三 854)• 古今和歌集とは。
に年の宗巴があるもある。
ちなみに血の涙という誇張表現は漢詩に由来します。
【代表的な歌人】• 1 古今和歌集 三代集 八代集 二十一代集 2 後撰和歌集 3 拾遺和歌集 4 後拾遺和歌集 5 金葉和歌集 6 詞花和歌集 7 千載和歌集 8 新古今和歌集 9 新勅撰和歌集 十三代集 10 続後撰和歌集 11 続古今和歌集 12 続拾遺和歌集 13 新後撰和歌集 14 玉葉和歌集 15 続千載和歌集 16 続後拾遺和歌集 17 風雅和歌集 18 新千載和歌集 19 新拾遺和歌集 20 新後拾遺和歌集 21 新続古今和歌集 - 新葉和歌集 準勅撰集• 巻第十六「哀傷歌」• そもそも勅撰集自体が「ハレ」の歌集であり、平安以降の和歌において哀傷歌はまさに口に出して「歌いづらい」ジャンルになっていたのです。 基本的には仮名序が巻頭に書かれてから、本文が入り、巻末に真名序が書かれるスタイルですが、伝本によって巻頭に真名序があるものや、真名序自体がないものまであるために、仮名序と真名序の存在の意味が諸説あり、ちょっとしたミステリーになっているのです。
5藤原顕季 30首 スポンサーリンク 6 詞花和歌集 【読み方】しかわかしゅう 【下命者】崇徳院 【撰者】藤原顕輔 【巻数】10巻 【歌数】415首 【成立】1151年 【補足】略して「詞花集 しかしゅう 」ともいいます。 奏上されたのは905年。
成立直後から後鳥羽院の手により複数回改変される。
【代表的な歌人】• 和歌の師匠は藤原俊成。
(風雅和歌集 巻第六 秋歌中 623)• 特に「歌」は、日常の身分差に関係ない次元のものです。
藤原為家 51首 15 続千載和歌集 【読み方】しょくせんざいわかしゅう 【下命者】後宇多院 【撰者】二条為世 【巻数】20巻 【歌数】 2143首 【成立】1320年 【補足】「玉葉和歌集」の撰者の地位をめぐって、二条為世は京極為兼と争って敗れました。
101111首の歌が集められ、その 4割ほどが詠み人知らずで、撰者4人の歌が2割以上を占めています。 巧みな歌の腕前を見せつけたエピソードでした。
一覧 [ ] 成立 下命者 撰者 序 巻数 歌数 備考 1 905年(一説905年下命、913-14年成立) 、、、 仮名序、真名序 20巻 1100首 最初の勅撰和歌集 2 951年下命、957-959年成立 、、、、 なし 20巻 1425首 3 1005-07年 花山院、藤原公任 なし 20巻 1351首 『』を増補したもの 4 1086年 仮名序 20巻 1218首 5 1126年(三奏本) なし 10巻 650首(三奏本) 世上に流布したのは10巻665首の二度本 6 1151年頃 なし 10巻 415首 勅撰和歌集中最少の歌数 7 1188年 仮名序 20巻 1288首 8 1205年 、、、、、(実際には後鳥羽院の親撰) 仮名序、真名序 20巻 1978首 寂蓮は奏覧以前に没。
藤原定家 29首• 藤原定家 69首• そのような「歌」を、朝廷の手によって集めて、手元に置く。
巻第四 「秋歌 上」• その才能は後鳥羽院に気に入られるようになり、『新古今和歌集』の編纂を命じられます。